佐藤昌介巡る人達

郷土花巻偉人

佐藤昌介(しょうすけ)
 ●北大の父 北海道開拓者 ●偉大な教育者 ●偉人との人脈
 1856年(安政3)~1939年(昭和14)
 

 明治以降、日本の教育を変えたのは、岩手県の3偉人、佐藤昌介、原敬、新渡戸稲造と
 考えられます。佐藤昌介は歴史上あまり知られませんが、日本を代表する政治家や
 文化人など幅広い人脈と影響力をもち、郷土花巻にも足跡を残しています。
 佐藤昌介に焦点を当てて、日本史や郷土史をたどってみてはどうでしょう  
 
 平成18(2006)年、新花巻市誕生(合併)の年、佐藤昌介生誕150年記念事業
 実行委員会が発足(多くの花巻史談会員がメンバー)し、記念式典・祝賀会が
 開催されました。
 
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花巻・三の丸公園昌介記念碑
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  日本初の 農学博士、北海道大学初代総長、日本を代表する教育者。
 札幌農学校卒業後、開拓使御用掛~札幌農学校校長~東北帝国大学農科大学学長
    ~北海道帝国大学総長と50年間、北海道大学の設立及び総合学部としての整備に人生
 を尽くした。晩学・苦学の努力の人。 
 
 
●新渡戸稲造が信頼する先輩
  明治10(1877)年、新渡戸稲造(15歳)は尊敬する郷里の先輩、佐藤昌介(21歳)
 に影響を受けて、昌介のいる札幌農学校に入学する。
  昌介の父、佐藤昌蔵と稲造の養父、太田時敏は南部藩時代から同僚でもあった。

●作人館時代(明治3年 14歳のとき)
 盛岡の藩校、戊辰戦争後の藩主・藩士の子弟、庶民一般の教育機関。
 学友に原敬、南部利恭(としゆき・藩主)、菊池武夫、阿部浩、田中舘愛橘など
 ※その後、昌介と原は経済的に苦労し学校を点々するも、昌介は英語、原敬はフランス語
 を苦学して身につけ、それを武器に出世していく。

●札幌農学校第1期生に(明治9年 20歳)
 クラーク博士の演説、北海道開拓の重要性と「少年よ大志を抱け」に感銘して、札幌農
  学校に進学。後輩に、新渡戸稲造、内村鑑三。後進に、島善鄰(よしちか)

 佐藤昌介人脈山脈

 
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黒田清隆 北海道開拓使
長官
第2代総理大臣
札幌農学校入学・第1期生を載せて札幌へ向かう御用船
の道中、学生の放歌高吟に怒り、彼らに謹慎を命じるが
クラーク博士の教育観を信頼。              
クラーク
  博士
札幌農学校
初代教頭
日本ではキリスト教の聖書は使用禁止だった、徳育に
聖書は必要と黒田長官を説得し、使用許可を獲得した。
原敬 19代総理大臣 「平民宰相」  作人館時代の学友・盟友
田中舘愛橘 物理学者 作人館時代の学友  測地・地震・磁気学の創始者
新渡戸稲造 国際教育学者
「武士道」
6歳上の佐藤昌介をしたって、札幌農学校に入学。母校の
助教授になる。昌介と共に農業博士の学位を授与。
後藤新平と、台湾の産業開発に貢献する。
内村鑑三 キリスト宗教家 昌介の後輩。無教会主義。花巻の斎藤宗次郎とは子弟関係
宮沢賢治 詩人
童話作家
大正13(1924)年、28歳、花巻農学校教諭として北海道
修学旅行引率北大での佐藤学長の講話に感銘受ける
島善鄰
(よしちか)
りんごの神様 東北帝国大学農科大学に入学、昌介の教えを受ける。
生涯をりんごの研究と普及に生涯を捧げる。
昭和25(1950)年から4年間、北海道大学学長
牧野伸顕 大久保利通の
息子
東北帝国大学創設(1907年)は昌介が法案を考え、文部
大臣牧野がとりまとめ、原敬が予算を工面して成立した。
  

佐藤昌介家系             昌介の花巻人脈
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佐藤昌介家族
佐藤昌蔵  昌介の父。盛岡藩士。花巻城の御取次役。子供たちや後進の教育に
あたる。第1 回衆議院議員に当選。以後10年国政に携わる。
栃内元吉 陸軍中佐。昌介の妹・直子と結婚。作人館時代、原敬と寮では同部屋
佐藤輔子 昌介の妹。島崎藤村の恋人。山室機恵子は輔子を頼って上京、同じ
明治女学校に入学する。
菊池捍(まもる) 農業技術者。他山塾の同僚の佐藤皐蔵と名須川良と一緒に上京、進学。稲造の勧めもあり、札幌農学校に進学。佐藤昌介校長の妹・淑子と結婚する。
後藤新平・新渡戸稲造に続いて、台湾開発に貢献する。
寺島昌子 菊池捍の娘。夫は寺島貞志(芸術家・画人)。「花巻賢治を読む会」初代会長
花巻図書館司書で、柏葉幸子の「つづきの図書館」のモデル
菊池俊吉 菊池捍の息子。写真家
 
佐藤庄五郎の家族  
佐藤庄五郎 明治維新の世に、花巻の産業推進を支援、養蚕振興のため製糸工場を建て
元武士家族など多くの困窮社会者を救う。青年子女の教育、農家の指導、
農村開拓にも関わり、北海道空知郡の当別村に移住し開墾事業を進め、
開拓功労者としても活躍した。新渡戸稲造と親交があり、宮沢善治(賢治
の母方の祖父)とは終生の友。
佐藤皐蔵 庄五郎の長男。海軍軍人。日清・日露戦争に従軍。 第一次世界大戦では
日英同盟より、ドイツ潜水艦からの英国船団護衛を、地中海横断航路の
司令官に皐蔵が派遣。日本海軍史上初めての潜水艦との戦闘経験戦死者
もでたが連合国軍の艦船と乗客を護衛した功績は高く評価されている
山室機恵子 庄五郎の長女。「日本救世軍の母」社会福祉家。名須川他山に師事し教職
に遠縁の佐藤輔子を頼って上京し同じ明治女学校に入学、起居を共にした。
キリスト教信者となり、8人の子供を育てながら、貧民救済、廃娼運動、
凶作地子女救済、結核療養所設立などの社会福祉事業向上に人生を捧げた。
山室軍平 岡山県生まれ。日本人最初の救世軍士官。廃娼運動や、結核療養所の設立、
伝道活動、児童養護施設、婦人保護施設、病院設立など。
山室民子 日本救世軍の創始者・山室軍平と機恵子の長女。救世軍活動にたずさわり、
戦後は文部省初の女性視学官に。
佐藤政次郎 機恵子の弟。札幌農学校に入学。有島武夫と同級。