ガイドbook

 
            
           img_20241204-190800.jpg
          ガイドブック
                 img_20250622-193859.jpg
     花巻史談会50年のあゆみ/ 花巻城の歴史
               花巻高校野球レジェンド/佐藤昌介入門
    花巻史談会ホームページ  img_20241205-175816.png    
    https://www4.hp-ez.com/hp/hanasidan  

 
  ごあいさつ                       ①
  先人が築き上げてきた郷土史を正しく理解し伝えていくこ
とで、郷土愛や誇りが育まれ、今後のまち造りの指針を見出
だす事に繋がります。毎年1回発行の「花巻史談」が多くの
市民に読まれ、関心を持つ方が増えて行くことを望みます。
  花巻史談会は昭和50(1975)年設立、令和(2024)年度 
で50周年を迎えます。令和5年は花巻「開町の祖」と敬愛
される北信愛(北松斎)生誕500年でした。   
 城下町花巻は市内各地に歴史文化財があり、ゆかりの先人
を多く輩出しています。 当協会は、郷土史講座や現地研修
会を通じて地域の歴史や文化を学び、再顕彰することにより、
地域の価値を再確認して次世代への継承を行い、文化財の保
護や維持、向上に寄与していく団体です。   
 目次          
   
02    史談会の活動内容
03    花巻史談会の歴史
05    花巻城の歴史        
08    花巻の近現代年表
10    高校野球史花巻北
12    佐藤昌介人脈山脈
img_20250622-043929.jpg

 活動内容 
●機関誌発行、年1回      
●会員の研修、研究調査
 に関すること
●郷土史団体との交流
文化財保護調査への協力等       
他、目標達成に関すること
・会員40名 
 賛助会員28名 
最近の活動   ② 
令和6年
・第一回郷土史講座
  「西域・宮沢賢治と多田等観」
・第二回郷土史講座
 「平泉文化と国見山廃寺跡」
・花巻史談50周年
 記念誌編さん企画
・新規会員募集

 10月24日第2回郷土史講座(北上市博物館)
img_20241203-175940.jpg
会の目的(会則)                    
 この会は、郷土史に関心のある者をもって組織し、
関係機関、団体相互の連絡協調を図り、会員の研修、
郷土史の調査.研究活動を通じ、文化財保護思想の
啓蒙普及を図ることを目的とする。
   花巻史談会の歴史(明治~令和) ③      
◆明治44(1911)年 10有余名で「花巻史談会」
設立するが約2年で自然休止。
◆昭和8(1933)年 「花巻郷土史談会」再設立。
昭和12年に自然休止。
「花巻史談」発行 創刊号~第8号で終刊。                              
◆昭和47(1972)年 熊谷章一氏郷土史講座開設
◆昭和50(1975)年 史談会発足 創刊号3名参加
◆平成16(2004)年 花巻史談30号
・30年間の実績
  郷土史講座:128講座 ・現地研修旅行 27回
  創立から10年間頃は、会員は90~100名程度。
  30年過ぎると、会員数は50人を割っていく。          
 ・30周年記念事業 市史年表(市制50周年記念)
  佐藤昌介150年生誕記念事業、北松斎公400忌
  記念事業 平成24(2012)
 ◆平成27(2015)  第40号会員44名(賛助23名)
・40周年記念事業 花巻城史案内・花巻城絵図発行
◆令和元(2019) 第45号
 ・45周年記念事業西公園石碑整備他の石碑の清掃。  
◆令和4(2022)第48号 会員34名(賛助19名)
◆令和5(2023)第49号 会員40名(賛助28名)
  会の活性化を図るため、新規会員の獲得に努める。
◆令和6(2024)第50号記念誌編さん  HP配信 開始   
史談会歴代会長                  ④      
初代 瀬川五郎  昭和50(1975)年         
2代 佐々木久蔵 昭和51年~60年   10年間
3代 石崎直治  昭和61年    1年間
4代 鎌田雅夫  昭62年~平成26年  28年間
5代 加藤辰五郎 平成27年~平28年  2年間
6代 堀合徳身  平成29年~令和4年 6年間
7代 大原皓二  令和5
旧花巻市史の編者・花巻史談会生みの親
熊谷章一 (1927~1980)
 昭和2年花巻市上町生まれ。國學院大学史学部卒。
 折口信夫に師事。母校の花巻北高など県内の高校
 教諭を勤める。県文化財調査委員長など。
 郷土史の発掘と文化財保護に多大な功績を残した。
 花巻市史(昭和37年~53年)14冊総て編さんする。
 市史編さんは熊谷氏一人に託されていたため、
 急逝によりその後の市史は未完に終わっている。
 〈著書〉「花巻市史」「花巻の歴史」「花巻人形」
    など多数
花巻城の歴史入門                                                ⑤
 伊達を見据えた南部領南端の城。
 藩境の警備と和賀・稗貫二郡の管理のための   
 近世城館。
 城主:北家、三戸南部家
 年代:1591年(天正19)~1873年(明治6)
<花巻城の歴史>
◆中世鳥谷ヶ崎城
 前九年の役(1051~62年)の際、安倍頼時が築いた居城
 城柵があったと伝えられ、前九年の役後に東北地方を
 統治した清原武則・武貞親子が居住したという伝説がある。
 12世紀から鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、平泉藤原氏滅亡(1189年)
 後、稗貫氏(源氏の御家人)が稗貫地域を四百年間支配し、
 鳥谷ヶ城は稗貫氏の居城だったと言われる。
◆南部氏の隆盛
 1590年、豊臣秀吉の小田原攻めに、稗貫氏や和賀氏ら参陣
 しなかったことから、秀吉の「奥州仕置」により所領没収さ
 れ、旧領地は南部信直(盛岡藩藩祖・南部氏26代当主・
 南部家中興の祖
)の所領となり、鳥谷ヶ城は花巻城に改称
 された。
◆花巻城の整備:北信愛と南部政直                                  ⑥
 1591年、南部信直は重臣の北秀愛を花巻城代(八千石)
にした。秀愛が若くして病死(1998年)して父の北信愛
(松斉)
が2代目城代を継ぎ、文武を尊重し市場を設ける
まちづくりを進め、「花巻開町の祖」と呼ばれている。
 全国的に有名な「花巻祭り」の原型である観音祭りを始
めたとされる。
 信愛死後、南部政直(南部藩主・利長の第二子)が
(最初で最後の)花巻城主になり城と城下町の改修整備を
行い、1821年に要害としての花巻が完成する。 
◆城代統治の時代~明治時代
 
政直急死(毒殺?)後は、政直の家老や盛岡直参の高禄
武士が郡代に起用される。明治元年の戊辰戦争の結果、
花巻城は新政府の管理下に入り、明治5年廃城となり明治
6年払い下げになる。

<花巻城に係わる先人たち>
北秀愛(ひでちか)?~1598年
 北信愛の息子。南部家の家臣。1591年奥羽再仕置の後、
稗貫・和賀・志和は南部氏の所領となり、浅野長政の推薦
により、秀愛が稗貫・和賀二郡(8000石)の初代城代
(郡代)になる。鳥谷ヶ城を花巻城に改め初代城代になる。
鳥谷ヶ崎城の改修と「花巻城」への改名と城下町の整備
(四日町を開町)をしたが若くして亡くなる。
北信愛(のぶちか)(北松斉)1523~1613年  ⑦  
 花巻開町の祖(恩人)」南部家の家臣・長老
 花巻城の大改修城下町の形成に尽力する
中世から三戸南部家に忠誠を尽くした
家臣北家の当主。主家・南部氏から
厚い信頼を受け、花巻城代を務めた
 img_20241205-095615.jpg 
     令和5(2023)年は生誕500年
 秀愛の父。南部家4代(晴政-晴継-信直-利直)に渡り、
忠臣として仕え、南部家の家政や外交の中心を担った。
 秀愛の病死後(1598年)、70代半ばで花巻城の2代目
郡代(城代)を16年間つとめる。花巻の城下町形成(花
巻三町:四日町、川口町、一日町)と花巻城改修に尽力。
 しかし、松斉の死で花巻北家は途絶え、8000石知行地
は藩に没収される。原敬が編さん指示した「南部史要」
(明治44年)には「花巻祭りは松斉なり」   
南部政直(まさなお)1599~1624年
 最初で最後の花巻城主 花巻城の完成者
 謎の毒殺? 令和6(2024)年没後400年 
 盛岡藩初代藩主・南部利直の次男(庶子・信直の孫)
    1613年北松斉没後、元服まもなく14歳で花巻城主なる。
 花巻城3百年の歴史上ただ一人最初で最後の花巻城主
 2万石の領主は 北信愛の計画を引き継ぎ、城改修と
 まちづくりの完成を導く。25歳の若さで毒殺されたと
 言われ、伊達政宗の陰謀とか、父・利直のの指示とか、
 など説あり。以後、花巻城には城代(郡代)が置かれる。                          

花巻の近現代総合年表                  ⑧
西暦 和暦  できごと
1868 明元 戊辰戦争
1872 明5  南部藩が岩手県に。花巻城廃城し翌年払下げ        
1873 明6 学制公布、小学校できる
1876 明9 明治天皇巡幸で花巻一泊   
1889 明22 明治の大合併(花巻町、十二鏑村、大迫町等
1890 明23 第一回衆議院選挙で佐藤昌蔵当選。
東北本線開通。花巻駅開業
1895 明28 花巻より釜石街道開通
1896 明29 宮沢賢治生まれる
1912 大元 花巻電気開業
1913 大正2  岩手軽便鉄道開通(花巻~土沢間)
1923 大12 湯本村に花巻温泉開業
1925 大14 花巻温泉電気鉄道開通、
1928 昭和3 好地村が石鳥谷町に改称
1945 昭20 花巻空襲(8月)
 
                         ⑨            
西暦 和暦  できごと
1947 昭22 キャサリン台風で大水害
1948 昭23 アイオン台風で大水害
1950 昭25 国鉄釜石線開通
1954 昭29 花巻町が1町5村合併し花巻市に。
1955 昭30 笹間村が花巻市と合併。
1961 昭36 豊沢ダム完成。国道4号線花巻バイパス完成
1964 昭39 花巻空港開港 花巻・羽田便就航
1969 昭44 花巻電鉄の鉛線が廃止される
1970 昭45 岩手国体開催
1972 昭47 花巻電鉄花巻温泉線の運行廃止
1977 昭52 東北自動車道(盛岡~一関間)開通
1982 昭57 東北新幹線が開業
1985 昭60 東北新幹線新花巻駅ができる
1993 平5 冷害により米が不作、社会問題に
2000 平12 釜石自動車道が東和まで開通する
2006 平18 石鳥谷.東和.大迫と合併新花巻市に
2011 平23 東日本大震災
2012 平24 釜石自動車道、東和宮守間が開通
2019 令和元 東京五輪前年 岩手のスポーツ界盛り上がる
2020 令2 新コロナ感染により東京五輪延期。
 
花巻の高校野球史・花巻北高編     ⑩
 花巻東高以前は半世紀前の昭和40年前後、花巻北高が3回
甲子園に出場し県下高校野球を牽引した黄金期がありました。
岩手県の高校野球
  
夏の甲子園で、一県一校出場が完全実現したのは、
昭和53(1978)年からです。その前の時代は、奥羽大会
(昭和10年~32年)→北奥羽大会(昭和34年~47年、岩手県
対青森県)と東北の他県の第2次予選大会があり、岩手県代表
はそれに勝ち抜かなければ甲子園に出られませんでした。
 岩手県勢は長い低迷期の後、平成17(2009)年に菊池雄星
を擁した花巻東が春の準優勝と夏のベスト4に進み、岩手の
野球ファンや子供達に希望を与える存在になりました
花巻の高校野球のあゆみ  
花巻勢の甲子園全成績(春・夏)
 花巻東(花巻商):通算19勝16敗(勝率54%)
 花巻北     :通算3敗(勝率 0%)
 花北青雲(花北商):通算1敗(勝率 0%)
 1960~70年代は花巻勢が躍進。花巻北が3回、花北商(現・
花北青雲)が1回甲子園出場をしています。昭和38年は花巻北、
39年は花巻商業と花巻2年連続勢甲子園出場の快進撃でした。
img_20250623-112924.jpg

昭和時代の強豪校 花巻北高校            ⑪  
 
昭和38年~46年の9年間の中で 甲子園出場3回
 野球部は昭和9(1934)年創設。海軍大将米内光政が校地を
桜雲台と命し、桜雲野球精神(文武両道、不撓不屈、社会貢献、
愛校心団結力等)が代々継承されています 
座談会 花巻北の甲子園球児が当時を語る

 全部員数が17人~19人と少なく、投手が一人しかいないなど、
練習が不自由な面がありました。上級生のスパルタ指導のため、
15人前後入部生も卒業時には5、6名しか残らなかったです。
 当時は練習中の水分補給禁止、うさぎ飛び、ノックバットで
のお仕置き指導など今にない練習風景がありました。
 練習は午後4時から7時、8時に。石鳥谷や東和の自宅から国鉄
で通う日々。大会が近づくと監督宅に下宿する選手もいました。
小原千秋さん:昭和38年夏の甲子園初出場、主将4番打者捕手  
 「野球部創立30年目での初出場。岩手県勢の中で唯一、開会式
で選手宣誓をしています。宣誓をする学校は事前に東日本と西日
本から各一校ずつ(花巻北と宮崎商業)選ばれ、2校でくじ引き
をした結果、私が宣誓役になりました。宣誓文は既に用意された
もので本番は平常心できました。」
●立川目和義さん :昭和46年夏の甲子園3回目に出場、主将
「県大会での盛岡一高戦。お互いの応援団のエキサイトや野次の
応酬に対して、主審がベンチに来て「あの応援をやめさせないと
没収試案にする」と警告されました。
 大会抽選会の日は、送迎車が道を間違えて時間に遅れ、大会会
長から前代未聞と叱責された失敗談があります。
郷土花巻の偉人  佐藤昌介(しょうすけ) ⑫
 ●北大の父 北海道開拓者 ●偉大な教育者 
 ●偉人との人脈1856年(安政3)~1939年(昭和14)
 
 明治以降、日本の教育を変えたのは、岩手県の3偉人、
佐藤昌介、原敬、新渡戸稲造と考えられます。佐藤昌介は
歴史上あまり知られませんが、日本を代表する政治家や
 文化人など幅広い人脈と影響力をもち、郷土花巻にも
足跡を残しています。
img_20250621-181057.jpg
花三の丸公園昌介記念碑
img_20250619-113918.jpg
  日本初の 農学博士、北海道大学初代総長、日本を代表する
教育者。晩学、苦学の努力の花巻人。
 札幌農学校卒業後、開拓使御用掛~札幌農学校校長~東北帝
国大学農科大学学長~北海道帝国大学総長と50年間、北大の
設立及び総合学部としての整備に人生を尽くした。
 
●新渡戸稲造が信頼する先輩 :新渡戸稲造は尊敬する佐藤昌介
 に影響を受けて札幌農学校に入学する。
●作人館時代(明治3年 14歳のとき):学友に原敬、南部利恭
(としゆき・藩主)、菊池武夫、阿部浩、田中舘愛橘など
●札幌農学校第1期生に :北海道開拓の重要性と「少年よ大志
 を抱け」のクラーク博士の演説に感銘し、札幌農学校に進学。
 後輩に、新渡戸稲造、内村鑑三。後進に、島善鄰(よしちか)

佐藤昌介人脈山脈        ⑬    
img_20250621-092734.jpg
 
黒田 清隆 北海道開拓使長官・第2代総理大臣
クラーク博士の教育観を信頼。              
クラーク博士 札幌農学校初代教頭。徳育に聖書は必要と黒田長官を説得し、使用許可を獲得。
原敬 19代総理大臣 作人館時代の学友・盟友
田中舘  愛橘 作人館時代の学友  物理学者
新渡戸稲造 国際教育学者
佐藤昌介をしたって、札幌農学校に入学昌介と共に農業博士の学位授与。
内村鑑三 キリスト宗教家 昌介の後輩。無教会主義。花巻の斎藤宗次郎とは子弟関係
宮沢
賢治
修学旅行引率北大での佐藤学長の講話に感銘受ける
島善鄰 りんごの研究と普及に生涯を捧げる。
北海道大学学長
牧野伸顕 東北帝国大学創設(1907年)は昌介が法案を考え、文部大臣牧野がとりまとめ、原敬が予算を工面して成立した。
  
佐藤昌介家系          ⑭
img_20250621-093336.jpg
img_20250623-122309.jpg
               菊池捍邸
佐藤昌蔵    昌介の父。盛岡藩士。子供たちや後進の教育にあたる。第1 回衆議院議員に当選。以後10年国政に携わる。
栃内元吉 陸軍中佐。昌介の妹・直子と結婚。作人館時代、原敬と寮では同部屋
佐藤輔子 昌介の妹。島崎藤村の恋人。山室機恵子は輔子を頼って明治女学校に入学
菊池捍
(まもる)
農業技術者。他山塾の同僚の佐藤皐蔵と名須川良と一緒に上京、進学。稲造の勧めもあり、札幌農学校に進学。佐藤昌介校長の妹・淑子と結婚する。
後藤新平・稲造に続き台湾開発に貢献
寺島昌子 菊池捍の娘。夫は寺島貞志(芸術家・画人)。花巻賢治を読む会初代会長
花巻図書館司書で、柏葉幸子の「つづきの図書館」のモデル
菊池俊吉 菊池捍の息子。写真家
 詳しくは、花巻史談会ホームページに
  
                         
  
 
    

 
   入会、並びにお問い合わせ
花巻史談事務局 四戸
〒025-0084 花巻市桜町2丁目187-1
電話0198-20-0035
mail: hanamaki4dan@gmail.com
花巻史談会ホームページ
https://www4.hp-ez.com/hp/hanasidan
 
  花巻郷土史談会 会則
・花巻町を中心とする地方の資料調査:郷土史を
 編さん   事務所は花巻小学校内に置く
会長:松川他次郎 
委員:照井真臣乳、照井謹二郎など
顧問:宮沢政次郎 三鬼艦太郎 佐藤隆房
 佐藤昌介等